夢を諦めた方がいいのか?

今日は、諦めた方がいい夢があるのかについて話します。
私がピヨピヨだったころの夢はパイロット。今の夢の一つはこのサービスで天下を取る。バクにあったら廃人になるんじゃないかと恐れを抱いている中年の私。人間ではなくもう、マグロなのでしょう。お話しします。諦めた方がいい夢があるのか。

結論、諦めなくていい

前提にあるのは、夢ないよりあった方が、人生楽しい。とみんなが口を揃えていうように人生を楽しくするのが夢の効果。夢は”キラキラ”な感じかな。で類義語の目標との違い。目標は”せっせと”という感じかな。小さい頃から消防士になるのが夢です。であったり、オリンピックに出るのが夢です。アナウンサーや役者になるのが…。と様々ある。
 夢を諦めるかどうか悩んでいると言うことは、何かしらの壁にぶつかった。その壁が何なのか。ここで、夢を諦めるかと考えている人間について考える。悩むほどの人間なので、ある程度は能力があるのは間違いない
アスリート系の夢で例えるなら、なまじ甲子園にいくくらいの力があるから悩むのであって。プロの選手と自分のスキルをくらべ、それが叶わないということに気づいた。または「伸び代なーい。これ以上無理です。」という状態。だから、夢を諦めようかな。となっている。
 アナウンサーや消防士系の夢であれば、諦めるに至るまでに何度か落ちている。試験を何回か受けている。落ちるたびに試験勉強であったり、面接の練習であったり、努力とその努力に見合った能力をつけていく。合格するための能力は高くなっているがゆえに、自分の改善点が見つけられず「あと、何が自分に足りないの!?わからん。」と諦めを考える。

 

焦点は、今のスキルの伸び代と、それにかけることのできる時間があるか。

焦点は、今のスキルの伸び代と、それにかけることのできる時間があるか。の点のみに絞った方がスッキリして分かりやすく考えもまとまる。これに周りの意見や見栄や常識を考えるからややこしくなるわけで。
 かけることのできる時間とは、例えば、警察官になるのが夢。であるのなら、受験資格に年齢制限というリミットがある。という具合。公務員では受動的に決まっているのでいいのだが、年齢という制限を自分で決めるのはなかなか難しい。
 もう一つの焦点であるスキルの伸び代。これがどれだけあるかの判断が、難しい。夢を追い頑張っている人に、もっと努力を。と励ましたりするのは酷である。最大限の努力を惜しまずやっていることも間違いない。サボっているわけではない。
 ただ、脳みそは3%しか使われてないそうで、それが事実なら、今やっている一生懸命と思っているのは、屁みたいなもので、それ以上の力を発揮できる可能性がある。だから、もっとやればなんとかなるのでは。隠されたレベルアップの方法があるのでは!と諦めない理由を探すとそういった思考に陥る。火事場のクソ力という界王拳を使えば、夢が叶う確率が上がる。と期待している。といったところでしょうか。夢を諦めることを考える人間について考えた。あってるかな。
 能力の飛躍的アップは”気づき”だと言われている。「あ、そうすればいいんだ!」という気づき。この気づきがまだ不十分で、その気づきはコーチが教えてくれたり、ネットの情報だったり、まだ出会えていないだけ。であるならば、その出会いにかけてもう少し諦めずにやってみる。諦めない理由の一つとして考えて欲しい。そういえば、人って、諦める条件を作りたがりだよね。そして、その条件をいかにも正論ですと言わんばかりに自分と周りを納得させているよね。
25歳までやるだけやってみる
次の大会で優勝できなかったら諦める
これについて私は言いたいのだが、その諦める条件っているの?
なぜ、諦めるのか?

そもそも夢って叶えないといけないのか?ん?”夢を諦める”という一文は”車を泳ぐ”という一文のように文の成り立ちがおかしいのではないか。ん?
じいちゃんが言う。「私の夢は、宇宙飛行士じゃ。」いや、それ無理だろう。と突っ込むか、うちの爺さんボケたな。誰がボケた爺さんの面倒みるんだい。とリアルな心配をすることもあるだろうが、そもそも夢って無理を前提にした言葉じゃないかい。文頭に述べたとおり、夢があると、人生楽しくなる。それはあなたも、そして、あなたのおじいちゃんも分かっている。ないよりあった方がいいのが夢。人生そっちが楽しい。諦めるってその人生の楽しみをとるということではないのかと。そういった見方をするのならば、夢は持ち続けたほうがいいよね。となる。叶う叶わないということではなく、「アイテムゆ〜め〜」という具合に持つ。
 前述したように夢は無理を前提にしてる。つまりは奇跡を前提にしている。奇跡の意味は”都合よく考えていい事柄”と白石辞書に載っている。
だから、命あるかぎり奇跡なんて起こせるわけで、何歳になっても宇宙飛行士になるという夢を持ち続けていいのではないかと。
アナウンサーになるのが夢です。と40歳子持ちのOLが言ってもいいのではないかと。
カフェの経営者になるのが夢です。と借金まみれのギャンブラーが言ってもいいのではないかと。
夢とは希望であり、希望は生きる活力。

年齢制限のある仕事、警察官になるのが夢。警官になるための受験資格がない40歳はどうすれがいいのか。警察官みたいなことをするのが夢。というように”みたいに”をつけてみるといいのでは。信号無視した車を追いかけ追いつきガラス窓をノック。「切符は切れないけど、次気をつけてね」と警察官ではないあなたが話す。なぐられるね。ならば、「ここ、事故が多いですので、気をつけて走行しましょう!」とメガホン片手に選挙演説ばりに交差点に立つ。それで、事故が減って市民が安全に暮らせるなら、警官と同じことができているのではないだろうか。夢が少し叶うのでは。

まとめると、夢はアイテムなので、”諦める”という動詞は不適である。夢はアイテムなので”持つ”が正しい動詞。代わりに目標は”諦める”という動詞であっている。自分のやりたいこと、なりたいことが夢か目標なのかを判断したいのなら、”キラキラ”かどうかで判断してみる。というのはどうだろうか。

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