俺の夢は講師になることです。いや、そっちの講師じゃなくて、こっちの孔子ね。
講師は目標で孔子は夢です。
目標と夢の違いって考えると面白い。
夢と目標の違いが自分の中である人の中で、「叶わないから夢なんだ」という話を聞いた。
どうやら、その人の根っこには、”全ての思ったことは叶う”と確信があるようだ。毎日がシェンロン状態。やろうと思ったことはできると思っている。できないことなんてないのだ。わかりやすく例えると漢字検定の1級取れるよね。ちょっと苦労はするけど、ああやってこうやって。と同じように、じゃぁ、1億円稼ぐには、こうやってああやればいい。まぁ、時間かかるけど。そんなノリで達成していく。ただ、俺すでに50億持ってんのよね。1億稼ぐのにそんなに興味ない。と同じように、弁護士の資格持ってるのよね。漢検1級か、あんまり興味ない。とすると億万長者の気持ちがわかりやすいかと思う。思考を現実にできる人間にとっての悲劇は、人生の先が見える。ということだ。妄想で一生をリアルに近い形で終わらせることができる。またまたわかりやすく例えると、公務員になって、定年までの生活がリアルに近い状態で想像することができる。これと似た感じ。悲劇とは、人生の先が見えるために、つまらない。と感じることにある。退屈。この刺激のない生活。刺激が必要である。
「叶わないから夢なんだ」と、その言葉にロマンを感じるとのこと。”叶わない”決してネガティブな意味ではなく、それがポジティブな表現。叶わない目標が欲しい。木星で生活したい、百年後の未来を見てみたい。無理だけど、できるかもしれない。という思考。まさにこれが夢である。99%無理であると自分でも分かっているけど、残り1%にかけるロマン。そして、刺激。夢が叶っては人生がつまらない。だから、叶わないから夢。叶えたくないものが夢。というわけだ。
では、目標とはなんだろう。目標とは、夢と違い達成が可能である事柄である。
達成に時間がかかったり、お金が必要で合ったり必要な”ものと量”は人それぞれであるが、自分の頭の世界でおさまっている。というのも特徴だと思う。
面白いのが、夢と言うか目標と言うかで受け取る感じ方が違うということ。これが面白い。
プロ野球選手になることが”夢”です。と言う少年と
プロ野球選手になることが”目標”です。と言う少年に会ったら、どう受け取るだろうか。「夢です」と言われた場合、ついつい笑顔になってしまう。そして「がんばれ!」と応援してしまう。「目標です」と言われた場合、笑顔もでるが、具体的ななるための引き出しがありそうで、本当になってしまいそうな予感がビンビンビン。そんな気がする。
ユーチューバーになることが夢です。という少年と
ユーチューバーになることが目標です。という少年。後者の方が、なんか、その先のことまで考えているような、ユーチューバーで終わらなさそうな。なんとなく、できそうなオーラを感じてしまう。
違いを考えるとやはり面白い。
ここからが本題となりますが、夢を持とう!と少年にいう。ロマンをもって、人生楽しんで欲しいから。という大人心。滑稽だ。夢を持とうと言われなくても、少年の生きる先は長く、ほっといても夢を持つし、楽しい人生を想像する。言っている大人にこそ、夢というロマンが必要なのに。やはり、滑稽だ。
大人が夢を持てない理由の一つにメンタルブロックがある。メンタルブロックを外す方法の一つが”そんなのどうやったら達成できるの!?”という目標を持つことなんだって。チマチマと自分の想像する世界だけでできるかどうかを判断し、考えた結果「できない」とチマチマ世界で結論をだす。自分を変えようと”どうせできないマインド”からの脱却を試みる。その脱却方法として、過去自分のできたことを思い出してもいいし、自分を信じるのもいいけど、”そんなのどうやったら達成できるの!?”という目標をつくると、”どうせできないしマインド”から回復するんだって。回復っていう表現がいいよね。もともと持っていたものを取り戻すという意味でしょ、回復って。我ながらいい語句を選んだものだ。ふふふ。そんなのどうやったらできるの!?を考えることは、夢と目標の違いを考えるのと同じくらい面白い。
私の夢の一つが孔子になること。論語のような1ページにこの記事もなるのだろうか。
まとめると
お嫁さんになるのが夢です。という女性と、お嫁さんになるのが目標です。という女性がいる。どちらと結婚したいですか?ビアンカ・フローラ・デボラのだれと結婚するのか悩むのと同じくらい楽しい質問ではないでしょうか。