仕事を辞める理由として、上司が嫌だという。よくある話。
突然ですが問題です。
部長が嫌だと辞めていった社員が1年間でたくさんいた場合、部長を辞めさせるか、辞めさせないか。どうします?
この問題の答えは2択とする。辞めるか辞めさせないかの2択となっており、部署を変える、降格させるといった配置転換はなしとする。という条件で考え、想像してみた。それではゲームスタート。
Dカーネギーの著書、「人を動かす」にのっとり、まずは、状況把握から始める。辞めていった新入社員や現場の聞き込みにより、上司は性格がパーフェクトであったことがわかった。具体的に
「相手によって態度を変える」「仕事を押しつける/仕事をしない」「高圧的/偉そう」「気分屋」「自分がすべて正しいと思っている」
という全てを兼ね備えた人材。魅力的すぎて何も言えない。
上司を辞めさせる場合のいい点は、新人が辞めなくなる。それとやめさせたことにより、社員からの社長の株が上がる。
上司を辞めさせない場合のいい点は、・・・う〜ん、あるのか?
会社でのあるある。組織でのあるある。使えない上司。と揶揄する社員はどこにでもいる。新入社員でなくとも、この上司の評判は悪い。となれば、上司をやめさせることが正解となる。
これが一般回答になる。
ここでひとつの指標でのみ考えていることに気づく。
その一つとは、コミュニケーションである。今流行のコミュ力。コミュニケーションが高いと好かれ、慕われる。逆に、コミュ力がないとどうなるか。相手の気持ちがわからずハラスメントや失言。コミュ力のない嫌われものは嫌われる。そして、嫌いな人間だから排除するというおそろしい正義が行われる。結果、社長への直訴へとつながり、「あの人と一緒に仕事をしたくありません」となる。
果たしてこれは正しいのか。見方が新入社員や下の者に偏りすぎてはいないだろうか。立場的に弱気者に偏りすぎてはいないだろうか。
上司が実はいいやつかもしれない。ということを言いたいわけではない。それだけたくさんの人に嫌われる人望であるならば、その通り、気分野で、偉そうな上司なのだろう。
新入社員に問題はないのか。彼らの社会に対する考え方に問題があるかもしれない。と別の角度から考えてみる。そうすると新しく入ってきた社員の考えがあまちゃんであると考えることもできる。
指導を例に取る。具体的に、新入社員は仕事を教えてもらうのが当たり前と思っている。え?どういうこと?日本社会が当然のこととしてそうさせているが、仕事を教えてもらえない当たり前の世界も存在する。職人業である。職人業においての指導は、盗め。これが常識となる。教えられるものではない。盗むものである。教えられなくても不満を言わない理由は、その仕事に興味がありやる気があるから。職人業でない一新人社員。盗むほどのやる気を持っているのであろうか。ないのであれば、やはり新入社員に問題があるとなる。仕事はおしえてもらうもの。そして、優しく教えてもらうの。さらには、わかりやすく教えてもらうもの。教え方がキツかったり、悪かったりすると「厳しいのはいいんだけどね、言い方を考えてほしいよね」と指導の仕方にまでケチをつける。トロトロの脳みそシロップ状態。生温い学生生活を送ってきたハンペンでは厳しさに心が耐えきれない。このスペックで入社してくるわけだ。教育するのは上司ではなく、新入社員かもしれません。という考えもできる。であれば、やるきのない新入社員を守ることの方が会社のデメリットではないだろうか。
全ての新入社員がそうではない。それは分かっている。それと同様に嫌われている上司の本質までも腐っているかどうか、全ての上司がそうではないだろう。
両面からの着眼を試みたが、私の考えは、もっと別のところに本質があると考えている。
会社とは、金を稼ぐ箱である。金とは、人の役に立ったり楽しませたり、他社や人にとって良いとされることを行ったための対価となる。役に立たない会社は潰れるだけ。これぞ、資本主義。最高である。社長の仕事は嫌われ者を排除することでも、役立たずを排除することでもない。会社にお金を持ってくることが仕事である。
だから、上司の人柄などは結局どうでも良い。人柄を考えるのではなく、上司を辞めさせることについてデメリットを考える。その上司がいることで契約されていた内容であったり、他社や客とのコネクションであったり。とにかくシンプルに、会社の利益につながること、お金を生むことが間接的であっても大きく影響しているか。この1点のみを考えてリストラかどうかを考える。
会社はママゴトであってはいけない。利益の生まない新入社員より、利益を生む上司をとる。コミュ力で仕事を持ってくれるなら苦労はしない。仕事を掴むには力が必要。力があるから上司になれている。という事実もある。
答え、上司を辞めさせない。が私の結論である。