モチベーションというものが才能だとしたら

 何にでも才能というものはついて回る。私が欲しい才能は何か。私は何もいらない。全ての才能は努力で手に入ると思っているから。ひゅーひゅー、かっこいいよ!
 努力する才能。という名言がある。「才能ないなら、努力でカバーだよ。ハート。」という人間に希望を与えるような使い方。「才能ないの?ドンマイ。でも諦めないで。努力すれば才能がなくても成功するから。ハート。」という使い方だと思っていた。”努力する才能”とは、そういったマインド的な名言だけではないのだ。と気づいた。そういった使い方ではなく、額面通り、努力することには才能がある。努力は誰にでもできるとお思いでしょうが、努力ができない人間がいる。と気づいたのだ。多くのやる気をあげたい人を見てきたが、できない人がいる。努力とは何か。「やだやだやだ〜。けどする。」これである。「やだやだやだ〜。だからしない。」という人の多いことかぎりなし。「やだやだやだ〜。だから明日しよう。」実際次の日にする。明日する人間のもつ努力の才能は普通だよね。努力の才能がある人とはどう言った人なのか。「やだ。絶対やだ。死ぬほどやだ。」「けどする。」というのが努力の才能がある。「むりむりむり〜」ということ、あなたはできますか?余談ですが、私はできるのです。何もしない人に金など1円でもやるなんて絶対やだ。と思いながらも、コンビニで募金してしまうのです。
 話を戻して、モチベーションにも才能があるとしたら。やる気をだすって、人間にそなわった基本スペックだと思いがちだが、そうでないとしたら。生まれ持って、モチベーションの高い人がいるとして、その逆の生まれつきモチベーションが低い人として生まれてきている。という話が仮説でなかったら。どうしよう。誰にでも、やる気スイッチはあるよん。これを前提に書いてある自己啓発本は大パニックである。
 生まれつきモチベーションが低い人。基本的性格がそうなので、モチベーションをあげることは、無理。という資質。生まれつき大人しい性格の人が、「パーティータイム!」とアゲアゲで自分を偽るのには無理がある。これと同じである。無理に無理を重ねると病気になる。

結論、才能ないんだから、やる気出そうなんて体に合わないこと、そんなことはしない。

モチベーションって、いる?やる気っている?なくても生きていける。というお考えの方。いらっしゃると思います。そして、その通りだと思います。生きていけるんです。逆に、モチベーション、やる気を追い求め、無理して頑張って、そのリバウンドでやる気チーン。やる気のないことを人生とひっつけすぎて、鬱になり、生きられなくなっちゃうケースもある。とすれば、やる気を追い求めるのやめる。というのも生き方では。
 やる気を才能とする。速く走る才能が私にはなかった。と同じくらいの感覚で、「私にはモチベーションの才能がなかった。だ・か・ら、モチベーション上げることはしません♪」でも楽しいのでは。持論でやる気いらない説もありだな。と結構考えている私。毎度話しているが、やる気じゃなくて、必要なのは集中力ではないか。という説を煮詰めちゅう。グツグツ。

まとめると、「死んでも嫌だ」ができる人は才能の塊である。虫を食べる人がいる。尊敬に値する。才能があると認めざるをえない。負けたくない。私に何ができるか。何をすれば彼らの上に立てるか。考えた結果、唐突であるが、ピラニアの水槽に足をバタバタさせようか。これはきっと誰もが「死んでも嫌だ」ということだろう。バタバタできれば努力する才能の日本チャンピオンになれる。気がする。さて、だれか私を止めてください。足がなくなる前に止めてください。

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