苦しいけど、嬉しい。そんな気持ちになったことありますか?
お尻をムチで叩かれたことを思い出されたかもいらっしゃると思います。
無知は苦しいけれども、嬉しいのだ。
なんだかカタカナを漢字に変えるだけで名言になりましたね。日本語は面白いですね。この「無知は苦しいけれども、嬉しいものだ。」という名言のほりさげで100万ページくらい書けそうですが、それは別の機会に。
やり通すことで自信がつく。という体験をしました。苦しいけど、嬉しい。私が体験したことは、尻を叩かれることもそうですが、それよりも、チャレンジの達成です。
初めてトライアスロンにエントリーしたことを覚えています。トライアスロンって知ってます?そう、泳いだり走ったり自転車乗ったりするあれです。って、今から白石の自分の話をするきかい?と読む気がしぼんだ方へ。ふーふーしてあげる。しぼんだ気持ちを膨らませてあげる。白石に興味のない人にとっては地獄の時間になります。が、きっと、ファンばかりだろうから、そのまま続けます。ファンじゃなくても、きっと面白いから読んで。
「なぜトライアスロンに挑戦しようと思ったの?」そう質問してくる人がいます。私は答えます。「やったことがないから。」私にとってそれは当たり前の答えですが、人は「行動力すごいね」となぜか褒めてくれます。努力していないことを褒められても嬉しくありませんが、日本人として生きていく上では愛想が必要であることを知っているので、「そうなんです、俺すごいんです」と小笑いをとりにいったら、なぜか「ほんとすごいよ〜。」とまた褒められてしまうしまつ。ありがたい。
初めてのことをチャレンジしようと心に決めた数日は、ワクワクである。「海で溺れたらどうしよう」「自転車の練習中に車に跳ねられたらどうしよう」そんな不安すらワクワクである。初めての婚活パーティーに応募しちゃった。どんな人が来るんだろう。詐欺に合わないようにしなくっちゃ。と不安だけど、ワクワク。こんな感じ。
ワクワク期の次に来るのは成長実感期。数字に現れるのでやる気が出る。
ダイエットって最初は目に見えて体重が減っていくと聞いたことがある。やればやるほど目標に近づくのでやる気もゴリゴリとアップし、楽しい。500mで息が上がっていたのが、1km泳げるようになる。1時間かかっていた自転車の往復が、50分で帰ってこれるようになる。楽しい。
で、ここからである。びっくりするくらい成長がないと感じる期間となる。伸び代が尽きた感じ。力石徹の減量で例えるとわかりやすい。「体重が落ちないの!」と、1日りんご一個にして、サウナにストーブ入れても落ちないの!がんばってるのに、お・ち・な・い・の。おちなーい!
やっていることに結果がついてこない。力石はジョーというライバルがいたのでやり遂げるが、みんな力石徹ではないので、ここでチャレンジの終了となる。
さて、どうしますか。諦めますか諦めませんか。当然、このコラムの続きは”諦めないで”という内容で綴っていくのだが。苦しい期間が続くのに諦めないとなると、やはり覚悟がいるよね。その覚悟をどうしていくか。と、ど正論のつまらない話に進んでいくわけで。それをいかに楽しい話にするかは、私の文才にかけたいところですが。あなたにとってのジョーがいればいいのですが、いないよね。力石は、自分を律するために、水という誘惑に負けないために、なんと、鉄格子の中に自ら入るという。気合の入れ方が半端ない。いや、そこまでは無理だし。と突っ込みどころだが、私は、鉄格子という物理的遮断をする方が楽なのでは。と考える。物理的に自分を律することをしないのならば、どうすればいいか。精神的に自分を律するしかないのだ。がんばる。と自分を奮い立たせなければならない。これ、しんどいよね。精神的に頑張れる要素として、誰かの応援とかあったらいいけど、そういえば、”申し込みボタン”がどこかのページにあったような。ふふふ。それでも、結局は自分なので、自分の精神を強くすることが必要。私の体験談で引き続き説明していくよ。ここで「お前の場合はそれでいいよ。白石と俺は違うんだから、その説明俺には不要。」と思うのもごもっともだが、体験は推論よりも強いという持論もあるので、引き続き説明していく。私の場合、ここで、”意地”を使うようにしている。何に対する意地かと聞かれれば、自分に対する意地である。自分で決めたことを達成する。
必死こいて走って、タイムを見てみると「前回といっしょやん!」と悲しい思いをする。トレーニングが無駄に思える。思えると言うか、無駄そのもの。諦めチャンスなんていくらでも転がっているわけで。明日走ればいいや。と後回しにする。そうするとどうなるか。もう、戻ってこれない。それを知っている。韓国ドラマと一緒である。一話目をプライムで見てしまったものだから、もう止まらない。睡眠時間を削るという悪循環。面白そうなゲームだな。と無料インストールしてしまったら最後。娘、息子との会話そっちのけでゲームにハマる。だらしない父親の完成だ。
それを知っている。理屈ではない。苦しい時から逃げることは諦めること。ただただ意地を張り続け、続ける。「何のために俺、泳いでんだ。」目標さえわからなくなっていく。それでも続ける。トンネル状態。で、トンネルから抜けるのよ。トンネルから抜けた時、変わっているものがあって、まず、自分のメンタルね。当然強くなってるわけで。で、綺麗事だけだとつまらないのでちゃんと体験として話すと、目標の妥協ね。最初は「この時間をきる!」という目標だったが、「時間はいいから完走をする!」という目標に下方修正。「えぇ〜、白石かっこ悪いよぉ〜。」とファンが少し減るのは仕方がない。が、いいとこばかりの綺麗事を伝えるコラムではない。ので、正直に。トンネルはそれくらい脅威がある。が、抜けなければ、真っ暗な道にたたずむばかりで、”できなかったこと”というダークリストのカテゴリにアップされる。それよりは、下方修正もありかと。俺は止まらない。歩むスピードは変わっても、ゴールという光は見続ける。「おぉ、白石、かっこ悪いところもかっこいいね。」とへったファンが戻ってきたことだろう。
そして、本番。完走しました。という話し。で、びっくりしたことが。本当に嬉しかったのだ。どれくらい嬉しかったか。大会を思い出すだけで機嫌が良くなる。そういった日が3日続いた。それくらい嬉しかった。いろんな人に「楽しかったよ!」といって回るくらい嬉しかった。そして、「来年もやりたい!」と思うくらい嬉しかった。苦しいことが続いたからこその喜びもあるし、比較するものもなかったので、全てが自信へとつながった。そんな状態です。比較するものがある、例えば、以前の売り上げを伸ばす。とか、以前の記録より短い時間で。とか。一度成功したダイエットでリバウンドからの二回目の達成。とか。そういった比較するものがあると、ここまでの喜びはなかったのかなとも思うわけで。ここまで自信も上がらなかったかもしれないわけで。だから、チャレンジはチャレンジでも新しいチャレンジ。それは自信をつけるにはうってつけのイベントではないかと。
今回の件でさらに自信がついたのだが、一番わかったことは自信というのは、どこからもってきても全体の自信につながること。仕事の自信をつけたいという場合、仕事の成果をあげてそれによって自信をつける。と考えがちだが、全然仕事と関係のない今回で言うとトライアスロンという別のことから自信がついたのだが、それが、「仕事も俺できるわ。」と、なぜか仕事にも自信がついている。不思議。根拠のない自信のカラクリかもしれない。「俺、部活でキャプテンでした!そして、小学校の運動会で1位になったこともあります!」さらには「学生の時に二人に告白されたことがあります!」と関係ないことでも自分に自信につながることがあれば、出たこともない社会に対し、何の経験も実績もない社会に対し、「ビッグになってやる!自信あります!」と面白いことを言うことができるのではないかと。
自信をつけるには、やり遂げること。達成する内容は新しいことにすること。記録を伸ばすとかじゃなくて。前回の記録や、あの人の記録、あの人の給料というように、比較対象からつくられる目標は、達成しても「まだあの人は1億稼いでいる」と自信がつく暇がなくなる。脳は馬鹿らしいから、全然関係ないところからの自信であっても、その自信が自分の中で感染しいって、なんでもできると勘違いしてくれる。ことを体験しました。
まとめると、自信をつけるための魅力的な方法が出回っている。科学を根拠にしたすばらしく、納得できるスマートな方法。それもいいが、今回のコラムで伝えたいことは”意地”という昭和的な方法です。
意地を持つことで諦めずにやることを維持できる。
漢字を変えるだけで意味が変わる。日本語って面白いですね。