江戸っ子爺ちゃんのツボとは、奇跡のツボで、ここを押されると、熱い熱い熱い風呂に入っても「いい湯だな〜」となるそうだ。私には趣味があった。ユニットバスに変わった今では忘れ去られた趣味となっている。湯船に浸かり、深さが9割満たされている状態で、残り1割を熱湯のみを足し湯し、溢れさせることでお湯から上がれるというゲームのような趣味である。熱湯のみを足していくと、熱い熱い熱い風呂が完成されていく。小学生の頃からやっていた。昔のお風呂は、熱湯専門の蛇口と水専用の蛇口があり、この趣味を可能にさせた。たし湯は限りなくゆっくりと、熱湯専門の蛇口を少しだけ開く。ちょろちょろと熱湯をたす。そうすることで、なかなか溢れないという我慢を楽しめるという内容になっている。つまり、私は、奇跡のツボなどを使わずして、技術のみで江戸っ子爺ちゃんの極意を手に入れたことになる。
温室育ち。そんな軟弱な精神で社会に出るものがいると聞いた。温室育ち、すなわちぬるま湯にどっぷり使ったフヤフヤのムニャムニャである。フニャ男である。じつにけしからん。
半身浴という入浴方法がある。ふざけた入浴方法だ。ガツンとはいらんか、ガツンと!そういわずに、とりあえず半身浴やってみろと友人がいうので、不本意ながらやってみることにした。体験した結果、なるほど、半身浴が噂になるのも納得がいく。ありだ。と、いうより、めっちゃありだ。好物のサウナと同様に、じわりじわりと汗をかき、爽快感は言うまでもない。くぅ〜気持ちいい。すぐに趣味にとって変わった。研究して最高の半身浴に磨きをかける日々。趣味を研究するのは楽しい。最初は半身浴もあっつい湯でやっていた。風呂から上がるときはウルトラマンのストライプ柄。腰の上下で分かれているという下半身真っ赤でジュワッチと上がる。研究が進んでいく。研究の結果、がくぜんとした。なんと、半身浴の湯は、ぬるま湯が最高の湯加減であることがわかった。冷えれば熱くし、熱くなれば少し冷やすという作業が必要になる。こんな世界があるのだと白石カワズは自分を反省したのでした。
ぬるま湯にどっぷりつかったフニャ男。このフニャ男、自らそれを選択しているとしたら。と仮説をたてた。やばい。これは、やばい。私はとんでもない思い違いをしていたことになる。ぬるま湯こそが、フニャ男の最高のパフォーマンスを引き出せる環境であるとするならば、私が「けしからん!男は漢と書いてオトコと読むのだ!」と熱い説教をし、考えを変えようとする行為は、まさに、ギタギタの熱湯を半身浴にかけると同じ行為なのだ。これはやばい。フニャ男の最高の環境を崩す。私が本気を出せば、熱湯では済まない。まさにそれは、炎となる。その炎はフニャ男の心にある美しい草原を燃やし、焼け野原にする。
ぬるま湯のいいところは、純粋さ。である。社会に対する甘さは、時として、社会を疑わないという純粋さにかわる。騙されてもきっとそれすら気づかないのであろう。それはつまり、メンタル最強である。騙されたと分かったら、怒り、傷つき、憎むことさえある。それはどれも”悩み”という部類に分けられ、自分を苦しめる。騙しを例にとったが、人と人によるトラブル、お金のトラブルさえフニャ男は「どうしてそんなことがきになるのだろうか」と考えるに違いない。思い出した。純粋だったころが私にもある。子供の頃に、「なぜ、ホームレスがいるのか」と私は疑問に思った。「なぜ、大人は人を殺す人もいるのか」「借金で身を滅ぼす大人がいるのか」小学校の自分、もしくはクラスメイトの誰かが、そうなることは想像できなかった。
全てが純粋であればまさに平和そのものではないか。悩みなく、ハッピーライフに過ごせるのではないか。
これにフニャ男は気づいた。そのときに、フニャ男はフニャ男でいることを選択した。そう、フニャ男に見せかけている実は純粋な心を持つことを決めたピュアピュア星人なのだ。
世の中は厳しいよ。という大人に、ピュアピュア星人はこう思うのかもしれない。厳しいって言ってるお前のつまらない価値観で、狭い視野で世の中かたってんじゃねぇよ。あまちゃんに見せかけてるだけで、わざと選んでるのがわからんのか。こちとら楽しい未来を描いとんのじゃい!仮説です。ピュアピュア星人と出会ったら、もしくは、ピュアピュア星人からのコメントをいただいた時点で、仮説から実説へと変わります。時間の問題かもしれません。コメントください。なんなら、押し間違えて、申し込みボタンをクリックしてください。
まとめると しかしながら、草原を燃やした後、春にはまた新しい新芽がでて、さらに綺麗な緑の景色が広がる。これを野焼きという。野焼きは大地を蘇らせることができるとさ。